927 久慈台場跡
江戸時代、水戸藩は初代藩主頼房の時代を皮切りに、幕末まで助川海防城(助川館)と共に七つの海防施設を設けて、異国船(外国船)に対する海岸防備を行ってきた。
ここはその一つ、久慈台場(砲台)跡である。
嘉永六年(一八五三)のペリー来航により、十代藩主慶篤の命によって、この場所に台場が築かれ、大砲が置かれた。このあたりは鉄砲場と呼ばれ、後に『鉄砲場晴嵐』として久慈八景の一つに選ばれている。
-案内板より
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