児山城(下野市)
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――mixi記事コピペ――2016年02月16日 23:35
16.02.16.
築城年、建武年間(1334〜1338年)
築城主、児山朝定
城主、児山氏
廃城年、永禄元(1558)年
遺構、空堀、土塁
(→城郭放浪記様)児山城は児山氏の菩提寺である華蔵寺の北西側一帯に築かれている。 現在は県指定史跡として本丸一帯が整備されている。
本丸は南北に長い方形で周囲に高土塁と空堀が巡らされている。この本丸は遺構の状態が良いが、その周囲は断片的に遺構が残るのみである。東側は外側にさらに空堀があり、南にも空堀が確認できる。(←)
永禄元(1558)年、長尾景虎が多功城を攻めた際、児山兼朝が長尾氏家臣 佐野豊綱と戦って討ち死、城主をなくし廃城となった。
※児山氏──宇都宮頼綱4男 多功宗朝の次男 朝定が、児山郷を領して築城、児山を称した。
朝定は男児に恵まれなかったため、娘を鎌倉の名族、三浦駿河守義行に嫁がせ、その5男 朝行(外孫)を養子として迎えた。
その後の児山氏の足跡は追えない。
永禄元年の多功の戦いに参陣し(児山氏がそれまで続いていたこと)、そして果てたということは確かなようだ。
Albums: 栃木県/下野国
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